2008年4月号~2009年1月号
ユダヤ商人 秘伝の格言より
人の賢さ・愚かさのタルムード
長い間、門外不出とされていたユダヤ商人に伝わる秘伝「タルムード」。この秘伝の格言が、近年かなりの数、世に出てきました。以来二十余年、人生の岐路や商売の考え方の基本として、根強い人気を維持しているこの「タルムード」を紹介し、わかりやすく解説致します。
「出会った全ての人から学べる者が、この世の中で一番賢い」
人を卑下したり、他人を認めようとしない人は、出会う人々から何も学び取る事は出来ず、成長しません。しかし、例えどんなに揶揄される人物であっても、必ずや幾つかの長所を持っています。出会った人全てから、その長所を見出し、学び、自分の長所へと置き換えていける者こそが、この世の中で一番賢い人だとタルムードは教えます。「まずは人を認めろ。長所を探り出せ。良くも悪しくもその人の長所を自分の武器に成るように身に着けろ」と言うようなものです。
「愚かな者は自分の知っている事を話す。
賢いものは自分が何を話しているのかを知っている」
まるで音楽プレイヤーの様に、一方的に話す人がいます。相手が何の感想を言おうと関心がありません。一方的に知っている限りの事を喋り、ストレスを解消します。しかしいくら喋っても、聞き手からは賢い人とは思われません。
本当に賢い人は、自分の口から出る言葉が、相手の頭にどの様に響き、何を影響するかを考えながら話します。相手の表情を見ながら、返される言葉を聴きながら、自分の話が相手に与える影響を把握しています。
要するに自分が話をする事によって、何が変化し、どういう影響を与えるのかを見ながら話しているのです。賢い者は相手の思考をコントロールしていると言う事です。
●2008年4月号掲載
人の賢さ・愚かさのタルムード2
「自信を失うということは、自分に対して盗みを働くようなモノである」
自分の物を盗まれる瞬間を知る人は居ないが、結果何が無くなったかは解る。自信を失い、落ち込んでいる時間が長ければ長い程時間と勇気を失う。立ち直りの遅い人間、落ち込んでいる哀れな自分に酔っている者は、自分の人生を大切に思っていない証拠である。
自分の人生は自分だけのものではない。家族や友人、職場でのポジションを考えれば、そうそう落ち込んでは居られない。直ぐ立ち直る人、立ち直るのに時間やイベントが必要な人、どちらが成長するか、考えなくとも解る。
「自分より賢いものに負ける方が、自分より愚かなものに勝つよりも得だ」
勝ち負けにこだわる者か、その行動から得られる自分の成長にこだわる者か?勝負と言うものは自分とは違う考えの相手と創意工夫を競い合えるものである。自分以外の優秀な考え方に触れ、それがしっかりと理解できれば、勝敗など意味の無いものだ。
勝っても何も変わらない。はじめから勝つ事が解っている勝負はするだけ無駄だ。負けて学ぶ。自分の弱さ、考えの未熟さ、あらゆる敗因が学べれば、小さな勝敗よりも大きな価値を持つ。
「粉屋が煙突掃除屋と喧嘩をすると、粉屋は黒くなり、煙突掃除屋は白くなる」
簡単に言うと、自分の得にならない喧嘩はするな。と言う格言である。粉屋が煤だらけの煙突掃除屋と喧嘩をすると、たちまち黒くなってしまう。喧嘩に勝とうが負けようが、商売に戻る為にはシャワーを浴び、服を全て着替えなければならない。
一方煙突掃除屋は白くなろうが、赤くなろうが、そのまま仕事に戻れる。例え引き分けたとしても、粉屋に分の悪い結果となる。感情で喧嘩をしてはならない。大人の喧嘩は、今のポジションを有利な位置に移動する為の手段である。無駄の無い日々を過ごせという教訓である。
●2008年5月号掲載
人の善悪・理性のタルムード
「正しい者は自分の欲望をコントロールするが、
正しくない者は欲望にコントロールされる」
善悪・倫理は理解しているつもりでも、欲望は強く人間は弱い者だ。結果的に気づかないまま欲望に駆られ、善悪をしっかりと見定めずに行動した結果、将来に影響する悪い評価を受ける場合もある。モノの善悪は、その時代時代で尺度が違う。善悪を定義するのは自分ではなく社会の体勢の目線である。正しい者は時代の定義を敏感に得て、欲望の強弱をコントロールし、結果的に悪い評価を生まない慎重な行動を取る。
欲望を無くせと言うのではない。上手くコントロールすべきものと訴えている。
「もしあなたが、悪への衝動に駆られたら、
それを追い払うために、なにかを学び始めよ」
悪への衝動、悪行の対価への欲望。そう言うものに負けそうな自分は、間違いなく「未熟」である。イチゴを目の前に置かれ、おやつの時間までは食べてはいけませんと言われても食べたい衝動に駆られて食べてしまう子供と同じだ。
そういう時は、何でも良いから、何かを学んで自らを成長させる事だ。人生観や理論を学ばなくとも、数学でも経済学でも良い。自らの脳みそに新しい知識、新しい刺激を与えることだ。その情報や知識、そしてその行為は、未熟な自分を必ずや成長させる。成長した自分が同じ衝動に駆られるなら、勉強が足りないだけだ。未熟な判断は、賢くなる事で防げるのである。
「他人の善意で生きるよりは、貧しいままでいる方がいい」
善意は謹んで受け入れるべきだが、それを生活の糧にしてはいけない。それならば満たされずに日々暮らし、自らの思いを遂げる努力をすべきである。 自らの満足を他人の行為に求める者は、人生を捨てると同じ事である。人間としての誇りを内に秘める事の大切さを訴えている。
「他人の前で恥じる人と、自分の前で恥じる人では大きな開きがある」
他人の前で恥じるのは、自分が恥をかいて嫌だと言う稚拙な感情から来る。しかし、自分だけの世界で自らを恥じる時は、自分自身に大きな責任を感じて自らの行為を改革する決意や責任感がある。そもそも他人の前で恥をかくのは損では無く自己成長に繋がる。訊くは一時の恥、知らぬは一生の恥と故事にも言われている。
●2008年6月号掲載
価値観のタルムード
「甕(かめ)を見るな。中に入っているものを見よ」
甕とは、陶器で出来た大きな壷のような入れ物。多くの人が美術的な造形物を見た時に、その外観を評価するが、甕の本来の用途は入れ物であり、大切なものはその中に入っている。
同じく人もルックス・家柄・学歴等で評価されがちだが、そのどれも人としての「働き」と言う意味では正しい評価ではない。「どう育ったか」と言うよりも「どう考え」て「どう動く」のかが人としての直接的な評価である。
人の評価は美術品の美しさの様に単純ではない。世の為・人の為に考え動けるか、そういったものさしが人の価値を決める。
「楽観が最も強い鎧となる」
楽観的という言葉には何か軽薄さ、不真面目さが伴う。そもそも対語の「悲観的」には真面目さが在るかと言えばそうでもない。
人間には得手と不得手=苦手がある。苦手意識があると行動が否定的になる。
しかし、以前は苦手だったことが数年経つとそれほど苦でもなくなる事が多い。
ここで言う楽観は「結果が出る前から悲観的に考えるな」と言うことだ。
どんな苦境に立っても必ず進める道があると言う意思が見えない道を切り開く。楽観は前向きに考える鎧だ。
「権威を認めるな」
権威とは行動の結果である。行動は時代の変化で結果が変わる。10年前は人の為に成った行動が、今も同じ結果を招くとは限らない。
権威を尊重しすぎると行動が狭くなり、結果的に必要な改革が成し得ない。
権威に頼らず、尊重し過ぎず、不要な場合は破棄してでもより良い結果に結び付けなければ成らない。
●2008年7月号掲載
価値観のタルムード2
「反省する者が立つ土地は、
もっとも偉い人が立つ土地よりも尊い」
偉い人にはそれを囲む人が集まる。皆、偉い人の恩恵(おんけい)を受けようとする。しかし囲む人々は
恩恵に恵まれるだけで、人それぞれの力が強まるわけではない。
何かに失敗し反省する人は好奇の目で見られても見習う対象とは思われない。
反省とは何か?誰かに向けて反省しますという行動は反省ではなく屈服(くっぷく)である。自らを
省(かえり)みて、人知れず立ち直ろうとする者の行動を反省というのだ。
それには、自己に対する強い批判と評価、そして成長を伴う。
反省し成長する者は、人々に対して、屈しない・諦めないと言う勇気を与える。また、そのような遠回りを
した者こそ偉人と同じ高みにあがる。
既に高みに立つ偉人を観察するよりも、目的地を目指し、我武者羅(がむしゃら)に挑戦している姿の方が参考になる。
偉人への成長課程が反省する者の姿に映るのである。
「子供は父親を畏敬(いけい)しなければならない」
この場合の父とは、外で働く者を言う。
外で働く者を尊敬する風潮が家庭内に存在しなければ、外で働く者は頑張る意味が薄れるであろう。
特に男はおだてれば調子に乗りやすい生き物である。
母親が子供の躾(しつけ)として父親を尊敬させる雰囲気があれば父は一層頑張り、家庭は豊かになる。
「お父さんみたいになっちゃ駄目」とか父親にお小遣いをあげない=投資をしないとか言う家庭は、自ら稼ぎを少なくしている。
父が偉いと言う議論ではなく、畏敬することで家庭が安泰(あんたい)になると言う意味。
「一本の蝋燭(ろうそく)で多くの蝋燭の火をつけても、初めの蝋燭の光は弱まらない」
一杯の水を幾杯ものコップに分けると一杯の水量は少なくなるが、蝋燭の火は何本に分けても
小さくなることはない。
一人の熱い想いを大勢に訴えても、その想いは伝播して、元の想いも、伝播した末端の想いも
冷めることはない。
その人の考え方が正しければ、たとえ最初は少数派であっても、人の理解を得て共鳴(きょうめい)を呼
べば、大きな想いとなって山をも動かす原動力となる。
大切なことは、その想いや夢が、火に偽りが無いのと同じく、偽りなく人々を照らす大儀であるかと言う
一事である。
●2008年8月号掲載
学習・成長のタルムード
「貧しい人の息子は讃えられよう。人類に英知をもたらすのは彼らだ」
多くの偉人達に共通するのは「不満分子」であった事。それが貧困であったり、逆に豊かなの
だが、家柄に縛られていたりと、その処遇に満足がいかない向上要求をパワーにして新たな分野を切り開いている。
安穏な未来、引かれたレールに従う子供達にはそう言うパワーは宿らない。
偉業を成し得ると言う事は並大抵の努力ではない。そのパワーは、幼い頃から積み重なった反骨精神や成り上がり願望から来る。
何度苦労しても這い上がるしかない環境で、そう言う「折れない心」が育まれるのだ。
百獣の王ライオンが我が子を千尋の谷に突き落とす。
その谷を這い上がる子孫こそ未来永劫の繁栄をもたらすからに他ならない。
「学ぼうとする者は、恥ずかしがってはいけない」
たとえば学びの場で恥をかく。心弱い者は同じ学びの場へは行けない。嘲笑を浴びせた人々の前にのこのこ出られないからだ。
恥をかかない事が大事なのか、知らない事を知る事が大事なのか、後者である事は言うまでもない。
大人になると兎角恥が邪魔になって素直に学べない。大人になっても学ぶべき事は山ほどあるのに、
恥を回避する為に多くの成長を逃してしまう。
自分の為に恥をかくのではない。家族のため、地域のため、世のために恥をかくと思えば、それ程嫌な事
じゃない。
「自分を知ることが最大の知恵である」
人は理想の人物像を真似ようとする。しかし自分と理想の人物の間に存在する人としての「素材のギャップ」はあまり認識されない。
ハウトゥーを知ろうとするが、その手段を行うに足るポテンシャルが自分に備わってるかを問わない。
他人の行為は隅々まで見えても自ら歩いた道の隅々まで知る者はいない。「人は鏡の中に最も好きな自分を見る」と言うように、普段は自分の嫌いな表情を無意識にしている事に気がつかない。
私は私の事を本当はよく知らない。そう言う意識を常に抱きながら、自らのポテンシャルを知ろうとする習慣が必要である。
自らのポテンシャルを把握し、且つ、周りの環境を把握すれば、全て計画通り推移するはずである。
●2008年9月号掲載
対立・競争のタルムード
「相手の立場に立たないで人を判断するな」
一見、他人に暴言を吐いたり、偏見(へんけん)で評価した者を戒(いまし)める言葉に見えるが、これは飽くまで自制(じせい)のための言葉である。
相手が自分に向けた言葉や行動に対して、瞬間湯沸かし器のように憤慨(ふんがい)する機会は多い。その短絡(たんらく)的な動作により自らを窮地(きゅうち)に追い込んでしまう場合がある。
対立する相手が自分に仕掛ける全ての言葉・行動を単なる誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)と捕らえず、その言葉の奥にある真意(しんい)を把握しなければならない。
それは相手にとって何が得で何が損かを見極める事である。正しく見極めるためには、相手の立場に立ち、思考を理解する事である。
相手を理解せずに、相手の発する言葉・行動に、まんまと踊らされる簡単な自分であってはならない。
「良い意見に人格はない」
自負が強くなると他の意見、特に目下の者や競争相手の意見を尊重しなくなる。
しかし、良い意見に人の上下など在るものだろうか。自分が真剣に物事を進捗させようと思っていれば、誰の言葉であろうと飛びつく筈である。
例え相手がライバルであっても、良い意見は自らの行動の役に立てるべきである。自我を捨て、公に尽くす。そう言う考えの出来る人ならでは「無駄のない人」と言うのである。
●2008年10月号掲載
選別のタルムード
「賢い人間の前に座る人には三つのタイプが居る。言われた事を何でも信じてしまう人。右の耳から左の耳に抜けて何も残らない人。賢い人の言葉から『大切なもの』と『そうでないもの』を選別する人。」
そう言う視点に立って以下の文章を読んでください。
『よく学べ』
がむしゃらに学べばよいのではない。受け身では無く、自ら率先して自分に必要な事を学ぶのである。
『よく質問せよ』
解らない事を片っ端から質問をする意味ではない。特に自分に対して、己の行動・言動の正否を質問せよ。
『権威を認めるな』
単純に権威に逆らえと言うのではない。世界のあらゆる進歩は既成の権威を否定するところから始まっている。意味の無くなった権威に怯える事はないとの意味である。
『自己を世界の中心に置け』
利己主義の勧めでも他人を軽んずるものでもない。自己責任を明確にする事だ。世界の責任を担う位の使命を抱き、行動すれば自他共に大きく成長する。覇者ではなく執行責任者である。
●2008年11月号掲載
理想を重んじるタルムード
「現実的であれ」
タルムードの多くは非常に現実的で意義を有す行動を求めている。しかし、現実的なだけでは人間は動かないと言う事も謳っている。
「理想を信じる」
この言葉が必要なシチュエーションとはどんな場合であろうか?何かが求められると言う時はその反対のものが蔓延している場合が多い。
理想が求められる時とは、辛い現実が環境に根深く蔓延している時である。例えば今がその時期かもしれない。経済が落ち込み、事業がしにくい環境下にある。
事業ばかりではない。この数年間、所得減や負担増で、平均的な世帯の懐は寂しくなる一方である。
この経済の大きな落ち込みに伴う社会の歪みや荒みの中で、多くの人々が希望を失っている時期である事は変えようのない事実。その人々が抱く失望感やあらゆるマイナスイメージは、好転させようとする動きの巨大な壁になる。
世界不況であろうと地域不況であろうと、我々は強い理想を抱き続けなければならない。社会経済は必ず好転する。人々が良い社会だと実感出来る日が必ず来る。今の辛さを笑って話せる日が必ず来るのである。
そう言う『理想』を忘れてはならない。
我々は毎日を『希望の明日』『理想の未来』に向けて過ごしているのである。
春の来ない冬は無い。朝の来ない夜は無い。
そしてこういうタルムードもある。
「人生の最上の目的は、平和を愛し、平和を求め、平和をもたらすことだ。」
事業とは人を蹴落とす事ではない。多くの人の幸せに繋がるか?と言う大義名分が必要なのである。
多くの人に希望を与える事から逸脱してはならない。
たとえどんな環境下であっても『理想』という大看板を外してはならないのである。
●2008年12月号掲載
集団社会を意識するタルムード
「もし貴方の周囲に傑出した人がいないなら、貴方がならなければならない」
多くの人は自らが動こうとせず、自分の境遇・環境の改善を他に依存する。不平は言うが、自らが正そうとはしない。
しかし、貴方にとって、その問題が重要であり、且つ、周囲にその問題を解決できる人が居なければ、貴方自らが責任者となって問題解決に向かわなければ、何も解決しないのである。
「自分のことだけ考えている人間は自分である資格すらない」
考えの深い人は、周囲の中の自分を考え、周囲を見ながら行動し、良い評価を得る。
対して、考えが浅い者は自らの事のみを考え、自分本位に行動し、良い評価は受けない。
また、考えの浅い者は、その周囲を自分に都合良い範囲で意識する。
自分に都合良くしか考えられず、他に迷惑を掛けるだけの者は、権利を訴える資格すらないと言う意味。
「民の声は神の声」
物事は多くの民の希望の方向へ動く。歴史は物語る。
民の不平は時の権威さえ覆している。
民の声を軽んじると何事も進捗しなくなる。
この集団社会に生きる全ての人々は、そう言う約束事の中にいる事を意識しなければならない。
「対立を恐れるな。進歩は対立から生まれる。自分の見解に賛成しない者も大切にしなければならない」
人間社会はあらゆる「対立」を経て進化してきた。
対立を拒んだり回避したりすれば進化を失う。
また、対立により自らの行動も評価できる。そう言う広い心を持って、ライバルを歓迎し、人の為となる成長を遂げるのである。
●2009年1月号掲載
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